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弘前さくらまつり

【STORY52】弘前さくらまつりtennshu.jpg

弘前に桜前線がやってくるのは、4月下旬頃。華やかな桜が老松の緑と見事なコントラストを描き、弘前公園中で美しく咲き競います。人々は、その桜の下で花に酔い、酒に酔い、津軽の春を満喫します。
夜になれば特別照明に照らされた桜が、お城を巡る濠の水面に浮かび、幻想的な風情を醸しだし、その美しさは訪れる人々を魅了します。
桜は、正徳5年(1715年)に、弘前藩士が京都から25本の苗木を持ち込み、城内に植えたのが始まりと伝えられています。

明治になって、荒れ果てた城内を見かねた旧藩士・菊池循衛が、明治15年(1882年)にソメイヨシノ(吉野 桜)1,000本を植栽しましたが、「神聖な城内で平民こぞって桜見物など許さん」と、一部の士族の迫害を受け、苗木が抜かれたり枝が折られたりしまし た。しかし、それも沈静化し、明治30年に再び1,000本が植栽されました。 写真:大正7年の観桜会の様子

その後も市民の寄付などが続き、大正に入るとそれらがいっせいに咲き揃い、見事な風景を展開しました。

弘前市で大正5年(1916年)に始まった夜桜見物は大変な盛況でした。それを受け、大正7年からは商工会が「観桜会」としてスタートさせ、昭和36年(1961年)から名称を「弘前さくらまつり」と改め、今日に至っています。 写真:大正期の天守閣イルミネーション


大正8年(1919年)には、さまざまな出店が出現し、喫茶店、花見だんご、食堂、天幕張りのそば屋、また、見世物興行も小屋がけするようになり、津軽民謡、曲芸などで賑わいました。
昭和10年(1935年)になると、夜のイルミネーション照明から投光器に替えられ、天守や城門は、強烈な照明により自然の形を夜空に映すこととなったのです。終戦直後は、さくらまつりも一時中断されましたが、昭和22年(1947年)、再開されました。

昭和30年(1955年)、それまで観光バスが下乗橋を渡り、本丸まで乗り入れていましたが、当時の公園管理事務所長・工藤長政氏により、園内の入り口に馬車止めが設置されました。観光関係業者からは猛反対されましたが、桜の樹には、自然環境が一番大切だという、この時の英断が、今日の弘前公園のたぐいまれな自然を育んだといえましょう。


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