お城とさくらとりんごのまち
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伝統建築



石場家


石場家写真 北門(亀甲門)とは目と鼻の先に位置し、雪国特有のコミセがあります。建築年代は明らかではありませんが、構造手法から見て江戸中期頃といわれています。この住宅は規模が大きく、大きな梁や指物を使用するなど豪壮な構えとなっており、座敷部分の造作も優秀で、津軽地方の数少ない商家の遺構として貴重なものです。
【写真】石場家:
石場家は代々清兵衛を名のり、屋号を「丸世」といって、わら工品や荒物を扱っていた商家です。



松蔭室


明治39年(1906年)、伊東梅軒の子孫が移転した後、隣家の伊東重がその邸宅を購入し、養生幼稚園を創立。松陰たちが会談した部屋を「松陰室」と命名永く保存するとともに、青少年教育の場として活用されてきました。
現在は旧宅の大半が改築されましたが、玄関から座敷(松陰室)にかけての部分はよく保存されています。
松蔭室写真
【写真】松蔭室:
この部屋で長州藩士吉田松陰は熊本藩士宮部鼎蔵とともに、藩に軍事や教育等について尋ね思想や世界観を語り合ったといわれています。


旧岩田家


旧岩田家写真 この建物は、昭和56年、岩田氏の遺志により市へ寄贈されたもので、正確な年代は不明ですが、建物の状況や江戸時代の文献、社会状況などから判断すると寛政時代後期から文化年間に建てられたものと思われます。柱や小屋組などの主要構造部材、芽葺屋根など、ほぼ建築当初のものです。
【写真】旧岩田家:
式台の「げんかん」をもち、日常生活空間を通らなくても「ざしき」へ行くことのできる間取りが、武家住宅の特徴です。

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旧伊東家


この建物は、津軽藩政時代に代々藩医を務めた伊東家の居宅として、元長町の一角に建てられたものです。医者としての居宅ですが、中級武士の居宅によく似た構造・特徴を残しています。座敷は簡素ながらも剛質な造作をした床と、違い棚を組み合わせ、藩政時代の落ち着いた住宅空間を生み出しています。 旧伊東家写真
【写真】旧伊東家:
現在の建物では見られなくなった式台・板大戸・板雨戸・いろりなども当時の建物を偲ばせてくれます。

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旧梅田家


旧梅田家写真 江戸末期の嘉永年間に建てられた武士の住宅で弘前城の南、在府町にあったものです。建物の建築年および当初の住居者を推定する墨書が調度品に残されており、社寺建築や城郭建築以外の江戸時代の建築物で、墨書が残されていた例は当市では今までにない貴重なものです。
【写真】旧梅田家:
東面は縁側がつき、開放的な雰囲気を持つのに対し、北面と西面は壁部分が多く閉鎖的な造りになっています。

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川崎染工場


正確な建築年代は不明ですが、天明、寛政、あるいはそれ以前といわれています。明治34年(1901年)に類焼し、西側の部分が縮小された痕跡があり、床の間なども9尺から6尺に直されたようで、こみせは復元したものです。常居、座敷、台所、土間など全体の間取り、井戸、流し、かまど等は変わっていません。往年の藍場は土間に復元しています。 川崎染工場写真
【写真】川崎染工場:
土間の屋根はトタンに改修していますが手割の、のじ板、たる木等は昔のままです。