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名水

 

富田の清水(しつこ) 紙漉町

貞享年間(17世紀末)はじめて製紙法が導入した際に、紙漉きに適しているということで、熊谷吉兵衛らに使わせたのが始まりとされています。
昭和初期頃まで製紙が行われ、その後は生活用水として利用されます。

並んでいる水槽は一番目が飲料水、二番目が洗顔用、三番目が漬物洗い、四番目が洗濯のすすぎというようにそれぞれの水槽に使用のきまりがあったそうです。
昭和60年に国指定の名水百選に選ばれています。

 

【写真】富田のしつこ:紙漉町は、古くから清水の豊富な所として知られ、富田村に所在したことから「富田のしつこ」と呼ばれ親しまれています。

 

清水観音水 東目屋地区桜庭 多賀神社

清水観音水は、三十三霊場二番札所として知られる、多賀神社(旧清水千手観音堂)の本殿裏にあります。水の音とウグイスの声が辺りに響き、なぜか落ちつきます。かたわらには観音様を彫った石像が観音水を守るかのように静かにたたずんでいます。昭和63年2月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。

 

【写真】清水観音水:のしかかるような巨岩の間から清水が湧き出し、麓まで流れを作っています。

 

堂ケ平桂清水 大沢地区堂ケ平

この地方は藩政時代に、金光山市応寺が置かれていたところで一大修験場として栄えたと伝えられており、今も当時を偲ぶほこらが残っています。
林道の突き当たりのカツラの老木の間から湧き出しているこの清水は、山菜取りの人や林業に従事する人の飲料水、また参拝者の浄水として利用されています。
昭和63年2月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。

 

【写真】堂ケ平桂清水: 鎌倉時代初期、大きな勢力を誇った熊野系修験の福王寺跡とされているところと伝えられています。

 

御膳水 吉野町

宝永元年(1704年)清水沿いにお茶屋ができ、明治14年(1881年)に明治天皇が行幸されたおり、料理やお茶にこのシツコを使ったとのことです。なお、御膳水については飲料の用途には適しておりません。

 

【写真】御膳水

 

御茶水 石川地区

尾開山のうっそうとした杉林に囲まれ、入山した人や農作業に従事する人が飲料水として利用している御茶水。明治14年(1881年)明治天皇が行幸された折り、湧水でお茶を召したことから「御茶水」と名づけられています。昭和62年2月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。

 

【写真】御茶水:水量に富み、今でもこんこんと湧き出ています。

 

御神水 百沢地区

岩木山登山する人が体についている罪やけがれを水で清め入山するということで、禊所の水として使用されています。
昭和61年3月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。

 

小杉沢の湧水 百沢地区

小杉沢の湧き水には、俗称 男壺、女壺と呼ばれる2カ所の湧き壺があります。水量も豊富で、女壺は広域簡易水道の水源地であり、各家庭の日常の生活用水などに利用されています。また、男壺は女壺の一部と合流し、養魚場の水産用水として利用され、更には温水溜池を経て水田のかんがい用水として利用されています。
昭和62年2月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。

 

羽黒神社霊泉 宮地地区

羽黒神社へ訪れる参詣者が禊水(体の邪気を清める水)、洗眼として利用するほか、地域住民の飲料水および下流域のかんがい用水としても利用されています。
坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、泉で洗眼したところ眼病が平癒され、御凱陣の際、祠(ほこら)を建て神恩に報われたため「眼病に効く霊水」といわれています。
現在、神歌が伝承されており、この歌を唱え、頭から水をかぶり眼を洗うそうです。
昭和63年2月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。

 

問い合わせ先

担当 環境管理課 環境保全係

電話 0172-36-0677

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