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外崎 嘉七

外崎 嘉七 (とのさき かしち)

(1859~1924)

 外崎嘉七は病害虫などによる生産の危機を乗り越えるために努力した人で、「青森りんごの中興の祖」あるいは「りんごの神様」と言われています。
 外崎嘉七は明治20年からりんご栽培を志し、菊池楯衛に教えを受けてりんごを植え、30年代に入るとりんご品評会では絶えず上位を占めるほどの技術を持つようになり、3年連続で1等賞を取り農家出身者としては初めて指導者となりました。
 また、彼は楠美冬次郎らとともに、生産量の増えたりんごを県外に販売する努力をしたり、明治38年には病害虫を防ぐために初めて自分の園地のりんごに袋をかけました。袋かけの防除効果は多くの生産者の知るところとなり、翌年には県内全域に袋かけが拡がりました。袋かけ以外でも病害虫の防除として、明治の末に大発生した褐班病を防ぐため、試験場の技師と協同でボルドー液を採用するなどの功績もあります。
 他にも、暗渠排水や低い樹形の推進、古くなった枝の更新や、独特の形に改良を加えた剪定鋏の共同開発など、新技術を広め、りんご産業の発展に尽くしました。
 また、明治41年9月に、皇太子が彼の園地に行啓訪問したことでも有名です。

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