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弘前ねぷたまつり

【STORY70】弘前ねぷたまつり

津軽の夏の夜を焦がす「弘前ねぷたまつり」は、三国志や水滸伝などを題材にした勇壮で色鮮やかな武者絵が描かれた扇ねぷたや、組ねぷた大小合わせて約60台が、ヤーヤドーの掛け声と共に市内を練り歩きます。

扇ねぷた写真
【扇ねぷた】
ねぷたの起源には、平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に創造したという伝説や、文禄2年 (1593年)7月、初代藩主為信公により、京都で創始という伝承もありますが、江戸時代元禄期の後半(18世紀初頭以降)、七夕祭りの松明流しや精霊流 し、眠り流し、盆灯籠などから変化して、華麗に発展してきたというのが定説となっています。

語源は、眠り流し→ねむた流し→ねむた→ねぷた(ねぶた)と、転訛。(佞武多、禰ふた、ともいう。)
暑さの厳しい、しかも農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払うための行事で村中一団となって、様々な災い、邪悪を水に流して村の外に送り出すものといわれています。
近年では、昭和55年(1980年)1月28日から重要無形民俗文化財に指定され、現在に至っています。

江戸時代の記録によると、箱形の灯籠に飾りをつけたり、山車を真似た人物、魚、野菜などの形のものを担ぎ回ったようです。

【1810年前後】
この頃、組ねぷた(人形ねぷた)が登場したようですが、今日の青森ねぶたに似た、高欄や開きのない素朴なものだったようです。

【1882年以降】
今日の扇ねぷたや、高欄、見送りのつけられた、本格的な組ねぷたが考案され、出陣をしています。
 

ねぷたの移り変わり
【写真左】
明治期の組ねぷた
【写真中】
大正期の扇ねぷた(見送り絵)
【写真右】
昭和初期のねぷた(鏡絵)

幕末期・現在のねぷた
【上段の絵】幕末期のねぷたの様子(平尾魯仙筆)
【下段写真左】現在の組ねぷた 【下段写真右】扇ねぷた
いずれもまつりの熱気が伝わってきます。

弘前ねぷたは、昔も今も変わらず、小さいものから順に、型どおりの隊形に従って運行されています。

勇壮な鏡絵 一般的な隊形として、左右に消防組合名の分団印の弓張り提灯を揚げ、見物人を制しながら先頭をきり、つづいて、各町 名を印した高張り提灯を従い、先灯籠(町印)、錫杖持ち、それに町内の面々が続く。その後に1人持ちの扇灯籠や2~3人担ぎのねぷたなどの小さなものから 順に並び、最後に大型ねぷたが運行されます。ねぷたの後ろには笛や太鼓の囃子方の一団が続き、勇壮な囃子を観衆の心の中に残しつつ、次の町内へと進んでい きます。

 


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