![]() |
![]() |
第46回企画展「追憶と郷愁の詩人 一戸謙三」注目の展示資料
|
1 詩集『哀しき魚はゆめみる』(大正10年) 数え年23歳の一戸謙三が、自分の年の数だけガリ版印刷した詩歌集。大正8年から9年にかけて作った詩(16篇)と短歌(24首)が収録されている。近代詩の主流が口語詩に移りゆく大正期、「抒情詩人」一戸謙三の誕生を告げる一冊である。
|
![]() |
2 詩集『追憶帖』(昭和22年) 戦後まもない混乱の中、雪の社(青森県藤崎町)から刊行された。謙三の詩人としての才能がみずみずしく花開く時期の作品10篇(大正11年・12年・15年、昭和11年の作)を収録。詩人の藤田晴央氏は本展の図録で、「三好達治にとって詩集『測量船』にその詩の要となるものが集中しているように、謙三の場合『追憶帖』にその抒情のエッセンスをみることができる」と解説している。
|
![]() ![]() |
3 詩稿「踊り子」(大正10年) 「荒波へと一つせいに出帆する帆前船の雑沓が、/貧弱な楽屋を旋風の圏内に昇らせる。/彼の女は蛆虫のごとく身をちぢめて、/白粉と紅と黛とによりその顔を奇怪なる塑像にとつくりあげた。(以下省略)」
|
![]() ![]() |
4 詩集ノート(昭和22年) 「わたしはまた詩が書きたい/わたしは食うことばかり考えていられない/わたしは生きてるだけではつらい/わたしはまた詩が書きたい」-敗戦のおよそ半年前の昭和20年2月11日、謙三は詩人としての切実な思いを詩「二月十一日」に書いた。22年、それを一部改稿して「詩集ノート」に収めた。戦争協力詩のもとめを避け、無力感・諦念の漂う身辺雑詩をあてどなく書いていた謙三が、本当に書きたかったのは「わたしが生きてるこの世のものにかくれている/実在が現れるような」詩であった。
|
![]() ![]() |
5 書簡(昭和3年11月24日、齋藤吉彦宛)
|
![]() |
6 自画像(年月日不明) 謙三は自画像のほかに、風景スケッチやデザイン画を描いている。また、自身の津軽方言詩を墨書し弘前市出身の画家・黒瀧大休が絵を添えた色紙なども展示している。
|
![]() |
7 一野屋印 謙三の父・彦三郎は弘前藩御用達商店「一野屋」の第7代当主。一野屋は幕末期に没落し、大正6年の彦三郎の急逝により一家の命運は急速に暗転する。このことは、謙三が詩を書く大きな要因となった。
|
![]() |
8 DVD「追憶と郷愁の詩人一戸謙三」 詩人の藤田晴央が、一戸謙三の抒情詩とその魅力を美しい津軽の風景や自作の絵とともに紹介する作品。約25分。 |
展示の構成
|
不易流行-一戸謙三 詩の変貌と抒情(解説・中嶋康博) 1 出発期
|
パネル展示 初期詩篇から見た詩人の実像(一) (坂口昌明)
|
資料紹介 詩集
|
陸羯南、佐藤紅緑、葛西善蔵、福士幸次郎、一戸謙三、高木恭造、平田小六、太宰治、今官一の9名の文学者の著書、原稿、遺品などの資料を展示しています。
|
|
石坂洋次郎の誕生から晩年までの写真や年譜パネル、著書、原稿などを中心にした「石坂洋次郎のあゆみ」、映画化された作品の全リストと映画のポスター、スチール写真、原作の図書などで石坂文学の魅力を探った「石坂文学とシネマの世界」、家具や愛用の遺品などの実物資料により生活や人柄を紹介した「人と生活」の3つのコーナーを設けて展示し、石坂洋次郎の人と業績を詳しく紹介しています。
|
|
一戸謙三、高木恭造、植木曜介の作品5編を、朗読と映像で鑑賞できます。 |
担当 郷土文学館
電話 0172-37-5505