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令和3年1月15日(金) |
何と読んだらいいのでしょう。 その前に、現在開催している企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」は、雛人形を中心に五月人形・こけし・土人形など約500点を展示・紹介しています。 このなかに、タイトルの雛道具が展示されているのです。 読み方は、「ろいろささからくさごもんつきひなどうぐ」といいます。 「ろいろ」とは漆塗りの技法のひとつで、つやのある黒漆塗りをいい、蒔絵で笹唐草と津軽家の家紋を描いた雛道具となります。 この雛道具は、最後の弘前藩主津軽承昭伯爵が明治後期に整えられたもので、明治とはいえ江戸時代の大名家の華やかな生活を彷彿とさせるものであり、非常に貴重です。 平成6年に旧弘前藩主家である津軽家から当館にご寄贈いただいた資料で、その際、国元の皆さんに楽しんでもらいたい、という津軽家のご意向を賜り、当館では、雛祭の展示品として紹介しています。
本展では、その中から文台、三棚、櫛台、長持、箪笥、簾屏風など長さ約8mにわたって展示しています。 箪笥は、把手など金物の細部まで手の込んだ作りで、大きさは横約30㎝、高さ約20㎝あります。また、櫛台の小物もこのサイズでここまで作れるのかと思うほどです。打掛は刺繍が施されており、着丈は約30㎝で、非常にきめ細やかに作られ、魅了すること間違いありません。 この機会に是非ご覧ください。
約8mに及ぶ展示の様子
文台、三棚などが並ぶ 箪笥
櫛台 打掛
(くろう)
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令和3年1月4日(月) |
謹賀新年。 寛永、享保、古今、次郎左衛門といえば! |
新年あけましておめでとうございます。 丑年の2021年も当館をご愛顧いただきますよう、多くの皆様のご来館をお待ちしております。
さて、現在開催中の企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」は、雛人形を中心に五月人形・こけし・土人形を紹介しています。
展示している雛人形は、江戸時代から明治にかけての寛永雛、享保雛、古今雛、次郎左衛門雛など古くから大切に保存されてきた古典雛人形です。
寛永雛は、最も古い内裏雛の一つで、立雛から座雛への過渡的な雛人形とされ、また、石場旅館様より借用の幅80cmもある大型の享保雛や、目にガラスをはめ込んだ古今雛、団子のような丸頭の引目鈎鼻風の面相が特徴の次郎左衛門雛などが並びます。 それぞれ特徴があり、江戸時代から伝わる雛人形の形態を今に伝えてくれます。 この機会に、是非ご観覧ください。
寛永雛 享保雛
古今雛 次郎左衛門雛
新型コロナウイルス感染症が懸念されますが、当館では検温、手指消毒、連絡先記載、触れるものを減らすなど感染予防に努めています。マスク着用のうえご来館ください。
(くろう)
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令和2年12月21日(月) |
開催中の企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」では、雛人形を中心に五月人形・こけし・土人形を紹介しています。
展示している土人形は、弘前市の下川原、横手市の中山、秋田市の八橋、仙台市の堤、滋賀県の小幡、福岡県の博多などの人形です。 下川原土人形は、文化7年(1810)9代藩主津軽寧親が筑前の陶工高原五郎七を招聘し、高谷金蔵らとともに陶器の製作にあたらせ、その際、冬期の閑暇を利用して子どもの玩具を作ったことに始まるといいます。 本展では、各地の大正から昭和にかけての男雛、女雛などの土人形を展示しています。 愛くるしく、可愛らしいですよ~!
○下川原などの土人形展示の様子
(くろう)
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令和2年12月1日(火) |
開催中の企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」では、雛人形を中心に五月人形・こけし・土人形など約500点を展示し、紹介しています。 このなかで玩具、土産物として作られたこけしは、明治以降、東北地方の温泉街で盛んに作られ、10系統に区分されます。津軽系、土湯系、遠刈田系、山形作並系、木地山系、弥次郎系、鳴子系、南部系、蔵王系、肘折系です。 本展では、津軽系温湯の斎藤幸兵衛や大鰐の村井福太郎、土湯系では土湯の阿部金蔵や飯坂の渡辺角治、遠刈田系では秋保の菅原庄七、山形作並系では作並の平賀謙蔵、木地山系では川連の佐藤利吉、弥次郎系では弥次郎の新山栄五郎、鳴子系では鳴子の高橋盛、南部系では花巻の藤原政五郎、蔵王系では堀田高湯の我妻勝之助、肘折系では奥山喜代治などの工人の作品約120点を展示しています。 それぞれ特徴があり、津軽系はオカッパ頭が多く、胴に津軽家の家紋やダルマ絵、アイヌ模様が描かれたり、鳴子系は胴は太く肩と裾が広がり、胴体には菊を中心とした華やかな模様が描かれたり、遠刈田系は頭が大きく、細い直胴のものが多く、赤い放射状の飾りが描かれるとともに、切れ長の細い目が印象的です。また、大きさも約60cmから5cm程度のものまであり、とても楽しめます。 このコレクションは、故木村弦三氏(1905~1978)が長年収集し、当館に寄贈されたもので、非常に貴重な資料といえます。
津軽系こけし 鳴子系こけし
津軽系こけし 南部系こけし
因みに、私が子どもの頃は、町を歩くと工房でのこけし作りをよく見たものです。削り出される様子が面白く、興味深く見入ったことを思い出します。現在はなかなか見ることができず、少し寂しさを感じるのは私だけでしょうか。
こけし好きの方、こけしに興味のある方、これからこけしを学びたい方、必見です。
(くろう)
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令和2年11月21日(土) |
本日、企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」が開幕しました。 本展では、雛人形を中心に五月人形・こけし・土人形などを紹介します。特に、雛人形は、津軽家ゆかりの雛道具をはじめ、寛永雛・享保雛・古今雛・次郎左衛門雛など江戸時代の貴重な古典雛人形を展示しているもので、愛らしく穏やかに微笑むお雛さまを眺めながら春の訪れを待つ、展覧会となっています。 津軽家の雛道具は、弘前藩12代藩主津軽承昭が明治時代に作らせたもので、小さいながらも精巧で、手の込んだ調度品であることが分かります。 他にも、温泉街の土産物として作られた東北各地のこけしや土人形が所狭しと並んでいます。 総点数約500点からなる「みちのく人形展」を是非ご覧ください。 なお、入館にはマスクの着用が必要となります。
(くろう)
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令和2年11月14日(土) |
今年度最後の展覧会である企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」は、11月21日(土)に開幕します。 本展は、雛人形を中心に五月人形・こけし・土人形を紹介する展覧会となります。 現在、館内では本展開催に向けて準備作業が進んでいます。雛人形や雛道具類は、非常に細やかで精巧に作られており、展示も一苦労で、私のように指が太いと、なかなか触ることができません。このような細やかな作業は女性職員が主にあたっています。 作業は、担当する北上学芸員の指示を受けて、一点一点慎重な作業が続いていますので、開幕まで今しばらくお待ちください。 沢山の作品が展示されますので、お楽しみに。
展示作業の様子
(くろう)
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令和2年11月9日(月) |
9月26日(土)に開幕した特別企画展「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」は、昨日11月8日(日)までの44日間の会期を終えて閉幕しました。ご来館いただきました多くの皆様に感謝申し上げます。 本展は、ピカソ、ルオー、シャガール、キスリングといった名だたる画家たちの作品から戦後の作品まで、20世紀のフランス絵画を紹介するもので、山形美術館の服部コレクションの中から51点を展示したものです。
展示の様子
会期中は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響もありましたが、市民や児童生徒、観光客等が、弘前公園の紅葉と合わせて来館いただき、10月31日(土)には入館者5,000人を迎えることができました。その後も、好天の日は200人を超える入館があり、密にならない程度で皆さん思い思いに名画を鑑賞していました。
児童生徒の観覧の様子(感染拡大前)
そのような中、弘前公園の紅葉はサクラの葉は散ってきましたが、モミジは鮮やかな朱や赤色をまとっていて、まだまだ見ごろが続いています。下の写真はどこでしょうか。 健康維持と合わせて公園を散策し、探してみましょう。
弘前公園(弘前城跡)の紅葉の様子
なお、博物館では11月9日(月)から展示替えのため臨時休館に入りました。 次回は、11月21日(土)から企画展3「みちのく人形展~五彩に輝くこけし・雛人形・土人形~」が開幕しますのでお楽しみに。
(くろう)
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令和2年11月1日(日) |
「フランス絵画展」入館5,000人達成 |
9月26日(土)に開幕した特別企画展「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」も残りあとわずか。昨日10月31日(土)には入館者5,000人を達成しました。(パチパチ) 本展は、東奥日報社、弘前市文化団体協議会、弘前観光コンベンション協会、アップルウェーブと弘前市で組織するフランス絵画展実行委員会並びに当館が主催して開催するもので、ピカソ、シャガール、ルオー、キスリングといった名だたる画家たちの作品から、戦後の作品まで20世紀のフランス絵画51点を展示しています。
5,000人目となったお客様は、市内在住の斎藤さん。 当館の高橋主幹から記念の図録が贈呈され、大変喜んでおられました。
記念図録を受け取る斎藤さん(左)
新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されますが、当館では体調不良の方の入館制限とともにマスク着用、検温、消毒、最大100名の入館制限などの対策を講じていますので、是非、ご来館ください。 また、弘前公園の紅葉も見頃です。 本展とともに芸術の秋を感じてみてはいかがでしょう。
弘前公園の紅葉風景(博物館事務室より撮影)
(くろう)
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令和2年10月30日(金) |
特別企画展「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」も残り1週間となりました。本展では、作品鑑賞とともに、フランス絵画などに関連する商品も館内で購入できます。 20世紀フランス絵画展図録、ポストカード、クリアファイル、マグネット、3Dノート、アートハンカチ、トートバックなどが、弘前市立博物館後援会により販売されています。 私の一押しは、モナ・リザの「首振り人形」です。 是非、作品鑑賞と合わせて物販コーナーもお楽しみください。
図録 ポストカード、クリアファイル
3Dノート、マグネット バック類
作家関連図書 首振り人形
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令和2年10月18日(日) |
開催中の特別企画展「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」は、プロローグと4つのテーマで構成されています。 「19世紀後半にフランスで生まれた印象派は、・・・」の紹介文ではじまる【プロローグ】では、ルオーの『告発されたピエロ』、ピカソの『剣を持つ男』、シャガールの『花束を持つ少女』の3作品が並び迎えてくれます。 次に1つ目のテーマは、「17世紀に独立した画題として確立された静物画は、・・・」ではじまる【静物と室内風景】で、ブリアンションの『静物』、ロルジュの『スイカのある静物』などの作品が並びます。
プロローグ テーマ1「静物と室内風景」
「1920年代から暗い色調と素早い筆致で風景画を描いたヴラマンク、そしてエコール・ド・パリを代表するユトリロが・・・」ではじまる2つ目のテーマ【さまざまな風景】では、ヴラマンクの『雪の道と家』、ユトリロの『アトリエ座』などの作品。
テーマ2「さまざまな風景」 同左
「1920年代に、価値の破壊と否定を唱えるダダイスム・・・」ではじまる3つ目のテーマ【夢、現実を超えて】では、シャガールの『花嫁の回想』、クトーの『7月の海辺』などの作品。 最後の「肖像画は古代エジプトや古代ローマ帝国時代から制作されましたが、独立したジャンルとして成立するのはルネサンスが誕生する・・・」ではじまる4つ目のテーマ【肖像と人間】では、ローランサンの『犬を抱く少女』、キスリングの『ジョゼット』などの作品が並びます。総数51点です。 いずれのテーマも見応え十分で、多くのお客様にご来館いただいています。 まだご来館していない方は、コロナ感染対策のためマスク着用のうえお越しください。
テーマ3「夢、現実を超えて」 テーマ4「肖像と人間」
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令和2年10月15日(木) |
芸術と美術に触れる学校観覧プログラム |
10月14日、弘前市立三省学校5年生12名と教職員が、弘前れんが倉庫美術館と博物館を観覧する「芸術と美術に触れる学校観覧プログラム」に参加しました。 このプログラムは、今年オープンした美術館の現代美術・芸術と現在博物館で開催中の「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」を観覧するとともに、変わりゆく弘前のまち歩きを組み合わせたもので、市内小中学生を対象に美術館と博物館が連携して開催するものです。 この日、三省小学校の児童は9時に美術館に到着し、約40分かけて現在開催中の「小沢剛展オールリターン」を観覧。絵画などの作品に加えて音と、映像が醸し出す芸術を感じ取っていました。 (正直、児童には難しい内容と思っていた自分自身がいましたが大きな間違いでした) 「小沢剛展」観覧の様子
その後、美術館から博物館までまち歩きです。 コースは、土淵川沿いを北に進み、弘南鉄道大鰐線中央弘前駅を横目に蓬莱広場へ出て、土手町を西へ進みます。途中、一番町の「川越のおやき」を購入し、市内最古のコンクリート造である旧弘前無尽社屋(三上ビル:国登録有形文化財)・中央広場・堀江佐吉が手掛けた旧第五十九銀行本店本館(国重要文化財)を横切って弘前城跡外堀(国史跡)に出ます。ここから、近代建築の巨匠・前川國男が設計した弘前市役所本館、市民会館を経て博物館までの約1時間の道のりです。児童は、普段、車でしか通行しない街並みをゆっくり歩いて散策していました。 まち歩きの様子(中央弘前駅と土淵川)
博物館には10時45分に到着。学芸員の解説で原始から近現代の歴史を学び、その後、ピカソやルオー、シャガールといった世界を代表する画家の作品が並ぶ特別企画展「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」を観覧していました。 満足げな表情の児童を見て、プログラムは大成功。 なお、博物館の特別企画展は11月8日まで休館日なしで開催していますので、皆さんも一流の作品に触れてみてください。お待ちしています。
「フランス絵画展」観覧の様子
(くろう)
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令和2年10月8日(木) |
津軽の庭・大石武学流庭園と西欧の庭園 |
10月2日、国の名勝・瑞楽園(市内宮舘)で「十五夜祭り」が開催され、夜間ライトアップが行われました。 瑞楽園は、旧家対馬家の庭で、明治23年から15年かけて大石武学流宗家の高橋亭山が築庭し、門弟の池田亭月が弟子の外崎亭陽と昭和3年から同11年にかけて増庭したもので、座敷から眺める座観式の枯山水庭園です。座敷からは飛び石と礼拝石があり、枯池、その奥の築山には枯滝石組が配置されています。 ライトアップは、庭園の中心にある「頭位松」をはじめ、野夜灯、春日燈籠などを照らし、昼とは趣が異なり、見事でした。
津軽が生んだこの大石武学流庭園も良いのですが、現在博物館で開催されている特別企画展2「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」では、ピカソ、シャガール、ルオーといった名だたる画家たちの作品とともに、現代フランスの作家の作品も展示され、そのなかに西欧の庭園を描いたと思われる「公園風景」があります。 この作品はジャン・ピエール・カシニョールが1984に描いたもので、西欧の庭園によくみられる彫刻とともに赤や青、ピンク色の花が描かれ、とても綺麗です。 日本、津軽の庭と西欧の庭、大きく異なるものの、緑豊かな趣は安らぎを感じさせてくれます。 博物館の特別企画展では、「公園風景」を含めて51点のフランス絵画が展示されていますので是非ご覧ください。 物販コーナーも人気で~す。
右:「公園風景」ジャン・ピエール・カシニョール 1984年
(くろう)
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令和2年9月26日(土) |
特別企画展2「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」開幕です |
お待たせいたしました。 20世紀を代表するフランス絵画が弘前に来ました。 本日、開会式が行われ、特別企画展2「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」開幕です。 本展は、東奥日報社、弘前市文化団体協議会、弘前観光コンベンション協会、アップルウェーブと弘前市で組織するフランス絵画展実行委員会並びに当館が主催して開催するものです。 ピカソ、シャガール、ルオー、キスリングといった名だたる画家たちの作品から、戦後の作品まで20世紀のフランス絵画51点が並びます。 開会式終了後は、展示作品を出陳いただいた山形美術館の岡部副館長兼学芸課長解説による内覧会も行われ、参加者はフランス絵画の奥深さを堪能していました。 会期は11月8日まで、休館日なしで開催しますので是非お越しください。 なお、新型コロナウイルス感染症対策として検温とともにマスクの着用や入館者多数の場合は入館制限などを行いますので、ご協力をお願いします。
開会式でのテープカットの様子
山形美術館岡部副館長兼学芸課長解説による内覧会の様子
(くろう)
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令和2年9月23日(水) |
展示替え真っただ中 |
9月26日(土)からは、特別企画展2「パリの見た夢 服部コレクション 20世紀フランス絵画展」が開幕します。 現在、展示替え真っただ中で、静まり返った展示室には、展示される絵画とともに、職員や展示業者さんが動き回って作業しています。 今年は、当初2回の特別企画展を計画しましたが、特別企画展1「歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版」は新型コロナウイルス感染予防のため中止となり、本展の1回のみとなりました。 本展では、20世紀のフランス絵画を紹介します。ピカソ、ルオー、シャガール、キスリングなど皆さんがよくご存じの作家の作品が揃います。 これらの作品は、山形市にある公益財団法人山形美術館の服部コレクションから選りすぐった51点で、全国を巡回している展覧会でもあります。 普段なかなか見ることのできない世界的に有名な作家の作品をお楽しみに。
(くろう)
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令和2年9月14日(月) |
路線バスや電車で巡る自然と歴史 ~乳井と六羽川~ |
第4弾は、乳井と六羽川をテーマに電車、徒歩などで巡ります。この日、9月3日は予想最高気温が弘前は36℃でしたが、老体に鞭打って、歴史を探訪したいという願望が勝り決行しました。 出発は、弘南鉄道大鰐線「弘前学院大前駅」で大鰐行の9時35分発に乗車です。20分余りで「石川プール前駅」に到着。ここから乳井まで1.7㎞の道のりを徒歩で目指します。小金崎の集落を抜けると、頭を垂れた黄金色の稲穂が広がっていました。25分余りで乳井茶臼館駐車場に到着。ここで前回も登場した地元石川で地域の歴史を探訪している「石川歴史もつけ隊」の工藤隊長と合流です。
弘南鉄道 頭を垂れた稲穂
駐車場から比高差約60mの乳井茶臼館頂上を目指します。非常に急な坂道を歩くこと15分で到着。大量の汗、息も切れたことからまずは一休みです。頂上には東屋と遺跡の説明板が整備されいましたが、何よりも驚いたのは、180度パノラマの絶景です。眼下には津軽平野、石川城と堀越城、弘前と平川の町、その先には岩木山、雲一つない青空と、最高の景色が広がっていました。 ここ乳井茶臼館は、『新編弘前市史』によると戦国時代にこの地を領していた乳井福王寺の砦の一つとされ、大浦為信(のちの津軽為信)の津軽統一の過程で、天正7年(1579)に侵攻してきた桧山城主安藤氏が一時占拠した城館とされています。山頂部は狭小ですが、腰曲輪が確認できます。居館としては手狭ですが望楼にはもってこいの立地と感じました。約440年前の攻防を想像してみるのもよいでしょう。
乳井茶臼館頂上からの眺め
汗も引いたところで、続いて目指すは乳井神社。10分余りで到着です。乳井神社は福王寺の後身と考えられていて、社殿は3代藩主津軽信義が明暦元年(1655)に毘沙門天堂として建立したものといい、市の有形文化財に指定されています。 続いて、神社の後方に所在する「乳井神社の五輪塔」(1基)と「乳井神社の板碑」(13基)を見学、板碑は鎌倉時代末期から南北朝期の造立とされ、こちらも市の有形文化財に指定されています。 さらにここから丘陵頂部を目指して登ること5分で乳井古館に着きます。 茶臼館とは異なり、平場は比較的広大で、東側には空堀跡が残されていました。 古館からも見事な景色が広がり、茶臼館同様、六羽川の合戦で有名な、忠魂の碑の位置も確認できました。茶臼館駐車場へ移動後、昼食のため石川の集落へ車で向かいます。途中、工藤隊長の勧めで「円筒分水工」である「庄司川幹線水路分水工」を見学しました。この円筒分水工とはサイフォンの原理を利用して円筒中心部に水を導き、その水が円筒外縁部を越流させて分水する仕組みです。今から約60年ほど前の昭和36~37年頃に造られたそうです。
乳井神社社殿 乳井神社の板碑 乳井古館空堀
昼食後、天正7年に家臣の田中太郎五郎が為信の身代わりとなり、窮地を脱したとされる六羽川の合戦で有名な忠魂の碑を目指します。車で移動すること5分。この場所は平川市に所在し、昔の面影は全くない改修された六羽川に隣接する小さな森の中に碑があります。 因みに現在、高岡の森弘前藩歴史館では「津軽の刀剣」展が開催されていますが、その中に田中太郎五郎が使用したとされる平三角槍が展示されています。田中太郎五郎はどのような人物なのか、この槍を使った姿を想像してみてはいかがでしょう。「津軽の刀剣」展は9月22日(火・祝日)まで開催していますので是非ご覧ください。
忠魂の碑 高岡の森弘前藩歴史館で展示中の「平三角槍」
最後に為信最後の居城「堀越城」で工藤隊長と別れ、茅葺屋根の旧石戸谷家住宅で心地よい風を感じて一休み。場内を散策した後、「堀越」バス停から14時発の弘南バスで弘前を目指してこの歴史巡りは終了です。 今回も弘前のまちの成り立ちに関わる歴史の舞台を体感でき、弘前の歴史の奥深さが伝わってきました。大満足でした。
堀越城にある旧石戸谷家住宅 弘南バス
(くろう) |
令和2年9月5日(土) |
「弘前ねぷた展」間もなく閉幕! |
7月23日に開幕した企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」は、9月13日(日)まで、残りあとわずかとなりました。 以前も紹介しましたが、ねぷたの歴史は1722年に5代藩主津軽信寿が紺屋町の織座でねむた流しを観覧したのが記録に残る初出で、今年で298年となります。2年後は300年の記念すべき年であり、ねぷた祭が中止となった今年の分も、来年そして再来年のねぷた祭が楽しみです。
ところで先日、弘前図書館で昔のねぷた祭の新聞記事を探していたのですが、なかなか見つけることができませんでした。8月2日から8月8日までの新聞には全く記事はありません。 その理由は分かりますか。 今まで知らずに恥ずかしいのですが、明治5年から新暦が使われるようになるわけですが、ねぷた祭は旧暦でしかも7月1日から主に運行していたようです。全てを調べたわけではありませんが、概ね8月中旬から下旬にねぷた運行の記事が見られます。 例えば、1907年(明治40年)の弘前新聞では8月11日に運行した記事が見られ、1922年(大正11年)の東奥日報では8月26日、28日に夜間運行して翌29日に流しています。1930年(昭和5年)の東奥日報では8月24日から29日まで夜間運行しています。 しかし、それも1955年(昭和30年)までです。現在の新暦8月1日開幕は翌1956年(昭和31年)からとなり、まだ64年ほどしかたっていなかったのです。 では、ねぷた祭がなぜ新暦に変わったのでしょうか。 その理由は、『弘前ねぷた本』(2019)によると、時世に合わない、前年に青森港祭り、後の青森ねぶたまつりが新暦での運行となり、弘前のねぷたまつりも青森と同様に新暦を採用したとされます。
今年の弘前ねぷた、博物館の「弘前のねぷた展」も間もなく幕を閉じます。 来てけへ~!(津軽弁) 来てください!(標準語)
博物館外観 展示風景
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令和2年8月27日(木) |
魔除けの神「鍾馗」 |
全国的に新型コロナウイルスの感染が拡大する中、先日、中三弘前店に弘前大学の要請で聖龍院龍仙さんが描いたねぷたの鏡絵が掲示されました。(現在は撤収済み) 絵の題材は、魔除けの鍾馗(しょうき)で、その迫力は見る人を驚かされます。 では鍾馗とはどのような人物なのでしょうか。 『津軽の武者絵』(弘前市1984)によると、中国、唐の時代、時の玄宗皇帝は病にかかり、夢の中で小さな鬼が現れ、その小鬼を大鬼が退治しました。帝が何者かと大鬼に問うと鍾馗といい、科挙の試験で落第して自殺したが、丁寧に葬られた恩を感じて天下の災いを除く誓いを立てたと言ったそうです。帝が目を覚ますと病は回復したとされ、以降、鍾馗は魔除けの神となったのです。 その風貌は恐ろしい形相に長髪とひげ面で、ねぷた絵にもよく登場します。
ここで、鍾馗を鏡絵に描いたねぷたが何台あったのか調べてみました。 先日発行された平成11年から30年のねぷた絵をまとめた『弘前ねぷた 平成総集編』(路上社2020)と昨年刊行の『弘前ねぷた』を見ると、以下の通りでした。 平成11・12年0台、以降平成13年4、平成14年0、平成15~18年各1、平成19年4、平成20・21年各1、平成22・23年各5、平成24年2、平成25年3、平成26年1、平成27年2,平成28年3、平成29年0、平成30年2、令和元年2台です。 最も多かったのは平成22年と23年でそれぞれ5台でした。 そのころ、日本や世界で、鍾馗を題材にするような要因(災害)があったのか調べてみました。 平成19年新潟中越沖地震(マグニチュード6.8)、20年岩手・宮城内陸地震(7.2)、21年駿河湾地震、22年チリ地震(8.8)ほか、23年東北地方太平洋沖地震(9.0)が起こっていました。
今年は、新型コロナウイルスでパンデミックとなり、多くの死者や感染者が出ています。妖怪アマビエで疫病をおさめる取組みも見られますが、来年は鍾馗を描いたねぷたが多くなりそうです。 現在開催している企画展2「弘前ねぷた展」では3点の鍾馗が展示されています。石沢龍峡が描いた養生幼稚園の幟と見送り絵が各1枚、もう1枚は竹森節堂のねぷた絵草稿です。 鬼の形相で災いを一掃してくれそうな鍾馗を是非ご観覧ください。
養生幼稚園 幟(左が鍾馗) 見送り絵(中央)
(くろう)
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令和2年8月15日(土) |
養生幼稚園のねぷた絵 |
養生幼稚園といえば、幕末に活躍した長州藩士の吉田松陰が、嘉永5年(1852)に来弘して弘前藩の儒学者伊東広之進(号梅軒)宅で藩の軍事や教育、国事について談じた、市指定史跡である「吉田松陰来遊の地 附松陰室」が所在する歴史ある幼稚園です。 この養生幼稚園のねぷたは、昭和25年の金魚ねぷたの運行をきっかけに始まったとされ、その後、石沢龍峡が描いて毎年7月上旬に園児たちによって町内運行が行われてきました。 現在開催中の企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」では、平成17年に園舎改築の際に発見されたという昭和32年と45年のねぷた絵を展示しています。流すことで厄を払うねぷたまつりのため、昔のねぷた絵は残されていない場合が多く、非常に貴重といえます。
展示中の養生幼稚園のねぷた絵
また、昭和52年に青森で開催された「あすなろ国体」では、開会式で弘前ねぷたも出陣しました。そのねぷた絵も石沢龍峡のほか多くの絵師たちが制作したもので、高さは約9mにのぼったそうです。その制作や運行映像(約60分)も本展では上映していますので、ねぷた絵師の皆さん、また絵師を志している方、観光客や市民の皆さんも、43年前の石沢龍峡や絵師の姿を是非ご覧ください。
あすなろ国体ねぷた制作・運行映像 石沢龍峡の制作の様子
今回のねぷた展は、中止となった弘前ねぷたまつりを少しでも体感いただけるよう、昨年の運行映像や音色も取り入れて開催していますので、多くの皆様にお楽しみいただけると思います。 コロナ予防のマスクも忘れずにご来館ください!
(くろう)
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令和2年8月8日(土) |
弘前市立博物館後援会の活動紹介 |
当館を応援、支援する組織に弘前市立博物館後援会があります。博物館が開館して10年後の昭和62年に設立され、今年で33年。現在の会員は112名で会長は佐々木健氏(前市教育長)です。 主な活動は、貴重な歴史資料の寄贈、博物館展覧会やイベントへの支援、弘前の歴史や文化を伝える冊子の刊行、会員の視察研修などがあります。 昨年度は、特別企画展での物品販売コーナーの設置・運営、長谷川館長時代から取り組む郷土歴史シリーズのVol5『絵図で見る弘前城のうつりかわり』(500円)の刊行、そして視察研修では青森市の東奥日報新町ビル「New´s」、小牧野遺跡と三内丸山遺跡センターを巡っています。 会員は、活動費として特別会員が1万円、普通会員は3千円の年会費を納めますが、特別企画展1回、企画展は何回でも後援会負担で観覧できます。さらに特別会員には特別企画展図録などの刊行物が無償で配布される特典付きです。
H30特別企画展物品販売コーナーの様子
刊行してきた『郷土歴史シリーズ』 昨年度の視察研修の様子
近世を中心とする貴重な歴史資料を収集、保存、展示、調査する博物館において、後援会が果たしてきた役割は非常に大きく、今後の活動も期待されているところです。 現在、後援会では会員を募集していますので、興味のある方は後援会連絡所(0172-35-0700博物館)までご連絡ください。
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令和2年8月1日(土) |
喧嘩が絶えなかったねぷたまつり~弘前ねぷた年表から~ |
今日8月1日は、例年であれば「弘前ねぷたまつり」開幕日です。 いつもとは異なるこの日を迎えた博物館では、来年の祭り開催を期待する観光客や市民の皆様が、弘前ねぷたの双璧とうたわれた竹森節堂と石沢龍峡のねぷた絵や日本画等を紹介している企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」観覧のため来館しています。
本展では、前述の作品とともに弘前ねぷたの歴史を年表にまとめて展示しています。 ねぷたが文献に登場するのは享保7年(1722)のことです。弘前藩庁日記(常設展に複製展示)に5代藩主津軽信寿が紺屋町の織座で各町のねむた流しを見学したと記録されています。 その他の主なものを以下の通り列記します。 ・延享5年(1748)、町々のねふた流しで、町人に御家中も入り混じって喧嘩口論することを禁じ、以後、ねぷた喧嘩の禁令が頻出する。 ・天明8年(1788)、江戸詰めの藩士・比良野貞彦が来弘して、子ムタ祭之図を描き、ねぷた絵画記録の初例となる。 ・文政元年(1818)、ねぷたの取り締まりのため市中見回りを強化。 ・明治14年(1881)、明治天皇巡行に際してねぷたを御観覧。 ・大正3年(1914)、喧嘩防止のため合同運行始まる。 ・大正11年(1922)、弘前警察署前で大規模なねぷた喧嘩が発生。 ・昭和8年(1933)、最後のねぷた大喧嘩。 ・昭和12年(1937)、日華事変勃発。この年から終戦までねぷた自粛(昭和19年除く)。 ・昭和25年(1950)、ねぷた100台以上出る。 ・昭和31年(1956)、この年から弘前ねぷたまつりは新暦で運行。 ・昭和55年(1980)、弘前ねぷたまつりが国の重要無形民俗文化財に指定。 などなど、ねぷたに関する多くの記録が記載されています。
年表を見ると喧嘩が絶えなかったことが分かります。ねぷた喧嘩は、江戸時代に始まり昭和初期まで記録が残っていて、大正11年には、よりによって警察署の前で大喧嘩が行われたようで、警察の苦悩とともに、各町、団体の威勢、男気のようなものが伝わってきます。喧嘩の背景として、『弘前ねぷた本』(2019)には、「18世紀後半から、弘前城下の町人町の自治力が高まっていた世相があり、各町のねぷた組も、藩の取締り体制に対抗できる力を持ち始めていたのだろう」としており、居住区域や道場同士の対立感情や道の譲り合いなどが要因と考えられています。 因みに、博物館常設展では節堂が昭和41年に描いた「ねぷた風物志 ねぷた喧嘩の図」が展示され、殺伐とした喧嘩の様子を今に伝えてくれます。
弘前ねぷた年表 「ねぷた風物志 ねぷた喧嘩の図」右中央
今回のねぷた展は、中止となった弘前ねぷたまつりを少しでも体感いただけるよう、映像や音色、そして現在、弘前ねぷたまつり運営委員会が取り組む「城下の美風」(~8月末)同様に「金魚ねぷた」も展示して開催していますので、今年の弘前の夏、ねぷたは博物館でお楽しみください。 お待ちしています。
映像や金魚ねぷたの展示風景(ホール)
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令和2年7月28日(火) |
路線バスや電車で巡る自然と歴史 ~堀越城から石川城へ~ |
第3弾は、第1・2弾でも紹介した堀越城と石川城を題材に為信統一への道のりをテーマにバス、徒歩で巡ります。この日、7月13日は好天に恵まれ、散策日和となりました。 出発は、路線バス「中央松森町」バス停です。弘南バス碇ヶ関行きの10時8分発に乗車し、10分余りで「堀越」に到着。堀越城にある旧石戸谷家住宅に向かい、前回紹介した地元石川で地域の歴史を探訪している「石川歴史もつけ隊」の工藤隊長と合流です。
弘南バス 旧石戸谷家住宅
旧石戸谷家住宅では、市のホームページでも紹介していたガイドブック(500円)とトートバック(600円)を購入しました。ガイドブックは、為信と堀越城、発掘成果や城跡整備について詳しく紹介しています。また、トートバックは黒生地に堀越城の文字と津軽家の家紋が印刷されたもので、ここでしか買えないレア商品です。ガイドブックを手に散策すると堀越城がより深く理解できそうです。
旧石戸谷家住宅物販コーナー ガイドブックとトートバック
堀越城については、これまでも紹介してきましたが大浦為信(のちの津軽為信)が、津軽を支配していた南部氏の拠点である石川城を1571年に堀越城から攻めたとされ、その後、津軽氏の居城とした平城です。その石川城までの距離は約3kmと現在も堀越城から見え、非常に近いことが分かります。南部氏からの津軽切り取りを狙っていた為信の心境はいかがなものだったのか。それを思いつつ本丸へ移動です。因みに、現在整備された堀越城は1594年から高岡城(のちの弘前城)築城までの17年間の城の姿で、為信が石川城を攻めた当時の姿ではありません。 本丸では発掘調査で検出された御殿広間の礎石位置が表示され、説明板には推定復元図も掲示していて、為信や2代信枚がどのように過ごしていたのか考えると、ワクワクするとともに歴史の奥深さが伝わってきます。1600年の関ケ原の戦いでは、為信はここから出陣したことになります。
三の丸から本丸を望む 御殿広間などの推定復元図が掲示された説明板
約40分散策した後、石川城までの経路を確認して、いざ徒歩で堀越城本丸を出発です。本丸から東門跡を通り、三之丸南側虎口から土橋を抜けて外構(そとがまえ)に進みます。前川に突き当たると、一旦旧国道7号線に出て歩きます。ほ場整備など後世の改変により当時の道筋は不明ですが、『新編弘前市史』や戦後間もない航空写真などから推定して石川城を目指します。
本丸から出発の号令をかける工藤隊長 当時の街道と想定した農道
約50分で石川の町に入りました。昔は商店なども多くみられたと工藤隊長は言いますが、現在は菓子店、食堂がわずかに残る程度です。 10分ほどで石川城、大仏ケ鼻城(大仏公園)に到着です。端午の節句の日に攻め落とされた石川城。石川高信は自害したとされます。毎年この時期に行われる「大仏公園あじさいまつり」は中止となりましたが、花の状態は最高潮で公園内には20品種、2500株の紫や青など色とりどりの紫陽花が咲き誇っていて、多くの人が見学に訪れていました。高信を弔うかのようです。 30分ほど散策したのち、道の駅ひろさき「サンフェスタ石川」でお昼をとり、13時40分発の弘南鉄道大鰐線の石川駅から乗車して帰途につきました。気温は23度前後でしたが、気持ちのいい汗をかくことができました。
石川の町 大仏ケ鼻城 紫陽花
紫や青色の紫陽花 弘南鉄道大鰐線石川駅
今回は、津軽為信の津軽統一への道のりを探りました。ゆっくり歩いて約1時間。のどかな田園風景や普段は車で足早に通り過ぎる石川の町並みは、いつもとは異なり、爽快かつ新鮮でした。 公共交通機関を利用して自然と歴史、そして健康を楽しむことが、今私たちには必要なのかもしれません。
(くろう)
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令和2年7月23日(木) |
企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」開幕です |
日本列島は、梅雨の真っただ中にあり、蒸し暑い日々が続いています。 青森県も夏の高校野球大会がベスト8まで進み、本日は準々決勝と、球児たちの熱いプレーとともに、弘前にも暑い夏が訪れようとしています。
さて博物館では、そのような暑い夏を彩るねぷたを紹介する企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」が開幕しました。 本展は、ねぷた絵師の双璧とうたわれる竹森節堂と石沢龍峡が今年没後50年と40年の年にあたることから、二人のねぷた絵、草稿とともに、掛軸、屏風などを展示して、画業とともにねぷたの歴史を紹介しています。 節堂と龍峡の若かりし頃から脂が乗り切った頃の日本画やねぷた絵まで幅広く紹介していますので、二人がねぷた、絵にかけた思いが伝わってきそうです。 また、中止となった弘前ねぷたまつりを少しでも体感いただけるよう、映像や音色も取り入れるなど工夫した展覧会となっていますので、今年の弘前の夏、ねぷたは博物館でお楽しみください。 多くの皆様のご来館をお待ちしています。
展示風景 屏風、掛軸が並ぶ
節堂と龍峡のねぷた絵
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令和2年7月20日(月) |
『絵図で見る弘前城のうつりかわり』好評発売中 |
今年3月に刊行された『郷土歴史シリーズVol5 絵図で見る弘前城のうつりかわり』は、弘前市立博物館(以下「博物館」)が執筆・編集し、弘前市立博物館後援会が発行した冊子です。 この郷土歴史シリーズは、総論的な博物館常設展を掘り下げるとともに、地域の歴史と文化の面白さをお手軽な価格で提供することを目的として、平成27年(2015)から発行しているものです。
今回のテーマの契機となったのは、近年、博物館を訪れる観光客や市民から弘前城に関する資料の問い合わせが多数寄せられたことによります。 本書は、平成22年(2010)に策定された『史跡津軽氏城跡弘前城跡整備計画』(弘前市・弘前市教育委員会)から主に転載したもので、その後の変遷を加筆するとともに、一部内容の修正と鮮明な絵図写真に差し替えたものです。 その内容は、1)築城当初、2)17世紀後半、3)18世紀中頃、4)19世紀初頭、5)幕末期、6)明治時代、7)大正~平成時代の7つの時期を、①曲輪、②濠、土塁、虎口、石垣、③道筋の主に3つの項目について紹介しています。なお、掲載した絵図と地図は、正保2年(1645)推定の「津軽弘前城之絵図」(博物館所蔵)、慶応2年(1866)に書き写して加筆した「弘前城図」(高岡の森弘前藩歴史館所蔵)、昭和27年(1952)「弘前市街図」(弘前市)など9点となります。 コンパクトにまとめた冊子で、500円とワンコインで購入できますので一度手に取ってお確かめください。因みに取扱店は、博物館のほかにTSUTAYA弘前店、宮脇書店さくら野弘前店、ジュンク堂弘前中三店、未来屋書店イオンタウン弘前樋の口でお買い求めいただけます。
Vol5表紙 18世紀中頃「宝暦6年の絵図」
明治時代「明治4年の絵図」 大正~平成時代「昭和27年の地図」
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令和2年7月15日(水) |
企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」展示替え作業中 |
今年はさくらまつりに続いて弘前ねぷたまつりも中止となり、寂しい春から夏へと季節が流れています。 博物館でも5月に予定していた特別企画展1「歌川広重」が中止となり、会期延長した企画展1「津軽アーティスト列伝」もコロナウイルス禍のなか漸く人出が戻ってきたところでしたが、7月12日で閉幕となりました。 ご来館いただきました多くの皆様に感謝申し上げます。
さて、現在博物館では7月23日から開幕する企画展2「弘前ねぷた展~節堂と龍峡の世界~」に向けて展示替え作業が進んでいます。
本展は、弘前ねぷたに大きな功績を残し、双璧とうたわれた絵師、竹森節堂が今年没後50年、石沢龍峡が没後40年の年にあたり、この二人の絵師に焦点を当てて、ねぷたの歴史を振り返る展覧会です。
ねぷた好きの皆さん、弘前の歴史や民俗の展覧会を楽しみにしている観光客の皆さん、今年の弘前の夏、ねぷたは博物館でご堪能ください。
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令和2年7月3日(金) | ||||
ラストスパートまであと少し! 企画展1「津軽アーティスト列伝」は7月12日まで | ||||
静寂に包まれるロビー 木々の向こうに辰巳櫓(たつみやぐら)がチラリ
7月に入りましたね。 暦の上では半夏生(はんげしょう)です。 半夏生とは半夏(烏柄杓-からすびしゃく-)という薬草が生える頃という雑節の一つです。 関西では梅雨でジメっとしたこの時期に、豊作祈願として作物がタコの足のようにしっかりと根を張るようにと、タコを食べる風習があるとか。タコには栄養ドリンクでおなじみのタウリンというアミノ酸が豊富に含まれているので、夏バテしやすいこの季節には体を元気にしてくれるもってこいの食材なんですね。 ああ、たこ焼きが食べたい。。。
閑話休題
6月19日から都道府県境を跨いでの移動制限が全国的に解除となり、半月が経とうとしています。 ステイホームのストレスからようやく解放されたといっても、まだまだ事態が収束したとは言えないのが実情ですね。 人類の歴史は常にウイルスや細菌など疫病との闘いでもありました。 言い換えれば、私たちはそうした目に見えない様々な脅威とともに日々暮らしているのだと思い知らされます。
わが博物館も、この一連のコロナ禍にあって、4月半ばから5月半ばにかけて1か月ほど休館を余儀なくされました。 現在は、企画展1「津軽アーティスト列伝」を期間を延長して開催しています。 再開後の出足は今ひとつでしたが、ありがたいことに、足を運んでくださるお客様が徐々に増えてきています。 皆さまに安心して観覧いただくため、館内の消毒や換気などには細心の注意をはらっており、また、皆様にも入館時の手指消毒、マスクの着用などのご協力をお願いしております。
さて、自粛疲れや在宅ストレスなどそのままにしていませんか? 気分転換に当館でタイムトラベルなんでどうでしょう?
公園散策の休憩ポイント (弘前市立博物館)
先史時代に始まり、中近世、そして果ては近現代まで。
津軽ゆかりの作家による多彩な作品や資料の数々をご覧いただけるツアーとなっております。
現代作家による絵画と彫刻 特別展示室
どうぞ、それぞれの時代に思いを馳せながら当館にて心行くまで時間旅行をお楽しみください。
「津軽アーティスト列伝」は7月12日(日)までの開催です。
(お) |
令和2年6月22日(月) |
路線バスや電車で巡る自然と歴史 ~堂ケ平と石川城~ |
第2弾は、前回紹介した堀越城に関係する石川城と堂ケ平を電車と車で巡ります。 出発は、弘南鉄道大鰐線の弘前学院大前駅。9時35分発に乗ると、青森県中南地域県民局とコラボした「古津軽列車」で、車内には「鳥居の鬼コ」(パネル)がお出迎えです。15分余りで津軽大沢駅に到着。ここから堂ケ平を目指しますが、4.4㎞南に位置し、徒歩では時間を要するため、今回は車で向かうことにしました。地元石川で地域の歴史を探訪している「石川歴史もつけ隊」の隊長である工藤氏の協力を得て、今米国で話題という「軽トラ」でいざ出発です。大沢の集落を抜けて3.2㎞程進むと堂ケ平の標柱が見え、ここに駐車してここからは急な坂を徒歩で登ります。新緑のなか心地よい風を感じて、汗を流しながら歩くこと約30分で堂ケ平到着です。 一帯は杉林が広がるやや平坦な地形で、中世以来の歴史が佇む地域です。
弘南鉄道「古津軽列車」 車内の「鳥居の鬼コ」 「堂ケ平」の標柱
まずは、12世紀代の「堂ケ平経塚」(市指定史跡)に向かいます。途中、山の神や淡嶋社などの祠を通過し、丘陵を少し登ったところに観音堂が現れます。よく見ると周溝が巡らされ、この場所が経塚です。経塚からは、昭和37年に12世紀末の珠洲焼の経容器(市指定文化財:弘前市立博物館蔵)が発見されていて、『弘前の文化財』(弘前市教育委員会:600円)によると奥州藤原氏における仏法による内国化を知るうえで貴重な遺構と評されています。 次に樹齢約700年の「燈明杉」(県指定天然記念物)を探します。案内標識に従って傾斜地を登ること5分。永い年月を生きてきたことを証明するかのような枝ぶりに驚愕です。幹周は約6.6m、樹高はおよそ33mで、毎年同じ時期に天よりこの杉に燈明がおり、光を放ったことからその名が付けられたといいます。 次は「私たちの名水」に指定された「堂ケ平桂清水」です。カツラの木の根元から水が流れていて、龍の顔のようにも見える水口は興味深く感じられました。この日も一般の方が数個のタンクに水を汲んでいました。私たちも椅子に腰を掛けて冷たい水を飲みつつ、団子を食して一休みです。何とも言えない心地よさでした。到着してから1時間佇んだのち車に戻り、次は石川へ向かいます。
この先が堂ケ平経塚 燈明杉 堂ケ平桂清水
まずは同じく「私たちの名水」に指定された「御茶水」を目指します。大鰐町との境界にある尾開山(508.8m)に向かって20分程走ると到着です。木造の覆屋とブロック造の休憩所があり、堂ケ平桂清水とは景色は異なるものの、マイナスイオンが感じられそうです。 続いて八幡宮を目指し、5分程で到着です。鳥居には赤の「鬼コ」が掲示され、かわいらしい姿をみせてくれました。
御茶水 八幡宮 鳥居の鬼コ
次はいよいよ石川城です。5分程で到着。数年前に大型駐車場を含めて公園として再整備されたもので、散策にはもってこいの城跡、公園です。 石川城は、南部氏の津軽支配の拠点として、1533年ないし1502年に築かれたとされ、石川高信が居城したもので、大浦為信(のちの津軽為信)が、1571年の端午の節句に約3㎞離れた堀越城から攻めて落城させたとされます。その規模は、『新編弘前市史』(弘前市)などによると約24ha、13の曲輪で構成されていたとされますが、13の曲輪が同時期に機能していたかは明確ではありません。平成7~8年には、内館と呼ばれる曲輪の発掘調査が行われ、同時代の陶磁器とともに大規模な堀跡等が発見されています。現在、13の曲輪の一つである大仏ケ鼻城が市の公園(大仏公園)なっています。 大仏公園に入園する際は、公園入口に駐車できます。5分程登ると最高所に着き、北を望むと岩木山と堀越城、南を望むと大鰐町と阿闍羅山が一望できます。当時、石川高信が津軽の南端のこの地から目を光らせていたことを想像してみてはいかがでしょう。 石川城(大仏公園)には、他に石川三十三観音、私が小学生の頃は中に入れた洞窟(現在は進入禁止)、隣地には大仏院が所在します。
石川城最高所からの眺め 整備された石川城の曲輪
石川三十三観音 洞窟 石川駅
最後に、大仏公園から5分程度歩くと弘南鉄道石川駅に到着します。駅からの岩木山の眺めも見事です。13時40分発の電車で帰途につき、今日も、充実した自然と歴史巡りとなりました。 自然や歴史を満喫したい方は、チャレンジしてみてください。新たな発見があるかも!
(くろう)
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令和2年6月8日(月) |
路線バスや電車で巡る自然と歴史 ~大鰐茶臼山と堀越城~ |
博物館の常設展には、中世コーナーに「為信の居城~堀越城~」をテーマとして、その歴史とともに金箔押し武具や陶磁器などの出土遺物、江戸時代に描かれた絵図をパネル化して紹介しています。その堀越城が、6月1日に全面オープンとなりましたので紹介します。 また、ただ紹介するだけではなく、公共交通機関の利用促進を図ることも目的の一つに、両者をコラボした形で「路線バスや電車で巡る自然と歴史」と題して紹介します。第1弾は、大鰐茶臼山と堀越城です。
堀越城の展示パネル 展示中の堀越城出土遺物と絵図パネル
出発は、弘南鉄道大鰐線の弘前学院大前駅。9時35分発に乗り、30分余りで大鰐温泉駅に到着です。駅から手古奈通りをゆっくり歩いて茶臼山公園まで約5分。山頂を目指して鉄道のスイッチバック方式のような細い道を進むと赤や紫、白色などのツツジが咲き誇り、地元の園児も満喫のようです。 展望台からは弘前藩主が湯治場とした温泉の町大鰐が一望でき、岩木山の姿も望め、新緑の広がりとともに新鮮な空気でリフレッシュできました。
弘南鉄道大鰐線 茶臼山公園 展望台から望む温泉の町大鰐と岩木山
公園を出ると、近くの餅店で名物の串餅を予約購入して駅に戻り、堀越を目指して11時47分発の弘南バスに乗車します。15分程で到着し、いざ堀越城へ入城です。 堀越城は、弘前藩初代藩主津軽為信がそれまであった城を改修して、1594年から弘前城へ移転するまでの17年間、津軽氏による津軽支配の拠点とした城で、もとは約14haの規模に本丸、二之丸、三之丸、外構、小丸と北の曲輪で構成されていたと考えられています。なお、現在は、平成24年度から始まった整備が完了して、本丸、二之丸、三之丸と外構、そして城跡東側に整備された市指定文化財の旧石戸谷家住宅がガイダンス施設として公開されています。 この住宅は、江戸時代末期(推定)の茅葺の農家住宅で、総床面積は437.63㎡あります。(非常にでかい!)内部には為信や堀越城の歴史とともに城跡整備の概要が解説板で紹介され、ワークスペースの土間では「為信の城を巡る 歴史回遊 土の城 堀越城」と題した映像が流れています。(必見!) これからの暑い季節には、茅葺屋根の下で涼しげな風を受けつつ、現代でありながらも江戸時代の雰囲気を感じることができると思います。
整備された堀越城 復元された旧石戸谷家住宅
当時の建物を推定復元したジオラマ 為信と堀越城を紹介した映像
見学した後、1時間ごとに走る弘南バスで弘前市内を目指します。城跡散策で流した汗も15分間揺られるバスのクーラーで心地よく感じられました。(大満足!)
弘前を望む羽州街道 「堀越」のバス停 弘南バス
最後に、弘前のまちの原点は弘前城とその城下町ですが、さらにその礎となったのが堀越城です。 このような時だからこそ、弘前の歴史を公共交通機関を利用して、普段は目に留まらない風景をゆっくりと体感することも良いものです。 (くろう) |
令和2年6月5日(金) |
次亜塩素酸水の寄贈 |
本日、公益社団法人弘前青年会議所から消毒用に使われる次亜塩素酸水が寄贈されました。 来館したのは、太田副理事長と菊池氏のお二人。 当市教育委員会の新型コロナウイルス感染予防として、濃度200ppm、20リットル入りを2箱頂戴しました。弘前青年会議所の様々な取り組みに感謝しつつ、今後の当館の感染予防に活用させていただきます。 また、現在当館では新型コロナウイルス感染対策を図りながら、企画展1「津軽アーティスト列伝」を開催しています。津軽にゆかりのあるアーティストによる「アート」を、縄文土器から現代作家である工藤甲人、奈良岡正夫、佐野ぬい、奈良美智の作品まで展示、紹介していますので、是非この機会にご観覧ください。
太田副理事長から寄贈 来館した太田副理事長(中央)と菊池氏(右)
(くろう)
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令和2年5月30日(土) |
近代化を支えた第八師団の遺構「旧弘前偕行社」 |
唐突ですが、博物館常設展の近現代コーナーでは、弘前市の近代化を支えた旧陸軍の第八師団を紹介しています。
第八師団は、明治29年に弘前への設置が決定され、2年後に初代師団長立見尚文が着任して騎兵、野砲兵、輜重兵、工兵、歩兵、衛戍病院などの施設とともに開設します。日露戦争の黒溝台開戦時には出兵し、多くの犠牲を払いながら戦果を挙げて「国宝師団」とも称されました。 現在、それらの施設、遺構の多くは解体されて見ることはできませんが、約7年に及ぶ大規模な修理が終了した、将校の社交場であった旧弘前偕行社(国重要文化財)の姿を、先日、カメラに収めてきましたので紹介します。
正面外観 ポーチにある第八師団に因んだ「蜂」の飾り
会場 外国製のタイルが使われた暖炉
この会場を含めて集会場などは貸し出ししていて、レトロで豪華な雰囲気の中で各種イベントや会議が開催できます。
北廊下 展示室(書籍室) 南廊下
展示室や南廊下には第八師団や所有者である弘前厚生学院の歴史、そして修理工事の様子が紹介されています。展示中の棟札には「堀江佐吉」の名前もあり、探してみてはいかがでしょう。
会場から見える庭 復元修理された照明器具 客室
入館や貸し出しは有料となります。詳しくは旧弘前偕行社(電話0172-33-0588)へ。
最後に、113年前の明治の姿に復元された旧弘前偕行社は、当市の近代という時代、そして第八師団の設置がもたらした経済と文化の発展と歴史を知るうえで貴重な建造物、遺跡です。 みんなで大切に保存・活用し、未来へ継承したいものです。
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令和2年5月17日(日) |
コロナに警戒しながらの再開! |
弘前さくら祭りが中止となり、過去に例を見ない弘前公園のゴールデンウィークが終わりました。 その公園にある博物館は、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言を受けて4月20日より市公共施設とともに休館並びに臨時休館して来ましたが、この度宣言解除を受けて約1か月ぶりに5月19日より再開することとなりました。
現企画展は、津軽にゆかりのあるアーティストによる「アート」を、縄文土器から現代作家の作品まで紹介するもので、名称は「津軽アーティスト列伝」です。 本展は、4月オープン予定であった「弘前れんが倉庫美術館」を盛り上げ、当館とともに弘前の歴史や芸術に触れていただく相乗効果を目指して企画したものですが、コロナウイルスの影響でその美術館のオープンは延期されました。この度、6月1日に開館されることとなりましたので、博物館そして美術館をともに散策していただきたいと思います。 また、臨時休館中を含めて来館いただけない方のために「【号外】かわら版」を開設して、学芸員が本展の展示作品を詳しく紹介していますので、開館後も県をまたいでの移動自粛などに伴い来館できない方はそちらをご利用ください。
非常事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ感染予防に努め、警戒しながらの再開となりますが、1日も早く新型コロナウイルスが収束し、多くの皆様が歴史と文化に彩られた「弘前」をゆっくりと訪れる日が来ることを切に願ってやみません。
縄文土器 古川武治、佐野ぬい、奈良美智作品
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令和2年4月29日(水) |
「【号外】かわら版」 開設 |
臨時休館中のため現在開催している企画展1「津軽アーティスト列伝」は、ご観覧いただけません。 そこで、本日より「【号外】かわら版 ~展示資料ピックアップ~」を開設しましたので、観覧した気分でご鑑賞ください。 臨時休館中、学芸員が企画展1で展示してる資料の中からピックアップして、定期的に紹介しますのでお楽しみに。
臨時休館中の博物館 企画展1「津軽アーティスト列伝」ポスター
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令和2年4月19日(日) |
打倒コロナ! 臨時休館の前に。 |
博物館は、全国に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発令されたことを受けて開催された市の対策本部会議において、4月20日(月)から5月6日(水)まで市の公共施設とともに休館及び臨時休館することが決定されました。 現在開催中の企画展1は、津軽にゆかりのあるアーティストによる「アート」を、縄文土器から現代作家の作品まで紹介するもので、感染拡大の影響により次回の特別企画展が年度内開催見送りとなったことから、会期が7月12日(日)まで延長されることとなりました。 「打倒コロナウイルス」の願いを込めつつ、今回の臨時休館で観覧できなくなった皆様に向けて、展示の様子を紹介します。
棟方志功から始まる企画展 本展ではおしりも見える猪形土製品
吉祥寺の阿弥陀如来 津軽塗
破笠、芝山、魯仙、仙年など・・・掛軸 東・西・三縞こぎん
青森県画譜の今純三 新井晴峰、山崎朝雲
工藤甲人、奈良岡正夫 古川武治、佐野ぬい、奈良美智
博物館職員一同、新型コロナウイルスが終息して、多くの皆様が1日も早く日常生活に戻り、博物館の再開とともに観覧されることを切に願っています。
(くろう)
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令和2年4月4日(土) |
企画展1「津軽アーティスト列伝」開幕 |
本日より、企画展1が開幕しました。 この展覧会は、アートをテーマに津軽にゆかりのあるアーティストによる「美」を紹介しています。縄文時代の器から中世の板碑(拓本)、近世以降の津軽塗、鵜川常雲や新井晴峰の屏風、小川破笠や平尾魯仙などの掛軸、そして近現代の今純三、古川武治、工藤甲人、奈良岡正夫、佐野ぬい、奈良美智といった作家の作品などを展示しています。 今回紹介する縄文土器は、円筒形のフォルムが特徴の円筒上層式土器(縄文時代中期)、幾何学文様が特徴の十腰内式土器(後期)、そして影響を受けた土器片が沖縄県でも発見された、芸術の域に達した亀ヶ岡式土器(晩期)で、時代による移り変わりとともにその美を感じることができます。
(くろう)
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担当 博物館
電話 0172-35-0700